小さなHER2陽性乳癌の予後と薬物療法
小さなHER2陽性乳癌の「予後」と「薬物療法」
1) 対象と背景
ここでいう「小さな」HER2陽性乳癌は、一般にT1mi(微小浸潤≤1mm)/T1a(>0.1–≤0.5cm)/T1b(>0.5–≤1.0cm)/T1c(>1.0–≤2.0cm)かつN0を指します。ホルモン受容体(HR)陽性/陰性、組織学的異型度、脈管侵襲(LVI)の有無などにより再発リスクは揺れます。ガイドラインは概ね、T1a/bの多くで術後補助療法は“縮小(de-escalation)”を基本とし、病態に応じて抗HER2療法の要否を検討する立場です。
2) 予後の概観
- T1miN0:NCCN/ESMOでは全身治療(抗HER2/化学療法)は原則推奨せず、HR陽性なら内分泌療法を考慮、という整理が一般的です(局所治療が基本)。ただし多発微小浸潤やHR陰性などの例外は個別検討。
- T1aN0:自然経過は比較的良好で、化学療法+抗HER2の絶対上乗せ効果は小さい/不確実との系統的レビューもあります。一方でHR陰性や高異型度、LVI陽性では相対的利益が増える可能性が示唆されます。
- T1b/cN0:再発リスクはT1aより高く、抗HER2療法併用の補助療法による明確なリスク低下が多数の臨床・実臨床データで支持されています。代表はAPT試験とその追跡、必要に応じATEMPTの知見も参考になります。
3) 標準的な補助薬物療法(術後、pT1a–cN0想定)
- THレジメン(週1パクリタキセル+トラスツズマブ)
APT試験はT≤3cm・N0のHER2陽性398例超を対象に、パクリタキセル12週+トラスツズマブ計1年の単群第II相。最終10年解析で10年iDFS 91.3%、RFI 96.3%、OS 94.3%、乳癌特異的生存98.8%と極めて良好でした。末梢神経障害は課題ですが、**T1b/cや臨床的に“低〜中等度リスク”**の多くで現実的な第一選択です。
- T-DM1単剤1年(ATEMPT)
ATEMPT試験(T-DM1 1年 vs TH、3:1無作為化)5年追跡では、T-DM1群の5年iDFS 97.0%、遠隔再発はわずか3例。総合的な“臨床的に関連する毒性”の頻度は概ねT-DM1 46% vs TH 47%で同程度ながら、T-DM1は末梢神経障害・脱毛が少なく、一方で肝酵素上昇・血小板減少、治療中止がやや多いという“毒性の質”の違いが特徴です。THが難しい神経障害リスク症例や、仕事・QOL面で“脱毛/しびれ”を特に回避したい患者で選択肢になります(保険適用・費用は地域差に留意)。
- いつ“強化”を考えるか
T1cでもN0なら通常はTH(またはT-DM1)で十分とされますが、HR陰性・高異型度・広範LVIなどの“生物学的高リスク”であれば、TCbH(ドセタキセル+カルボプラチン+H)等を検討する施設もあります。一方補助PERTUZUMABはAPHINITY長期追跡で主にリンパ節陽性群に恩恵が残ることが再確認されており、N0例での routine 追加は推奨されません。
4) 例外・個別化:年齢/併存症と治療縮小
RESPECT試験(日本、70–80歳)では、トラスツズマブ単剤 vs 化学療法+トラスツズマブを比較。3年DFS:89.5% vs 93.8%で非劣性は証明されずでしたが、毒性は明らかに軽く、QOLは良好という結果。強い虚弱性や有害事象懸念で化学療法が困難な高齢者では、十分な説明と合意のうえ単剤Hを“臨床的に意味のある選択肢”として検討し得ます(標準よりは妥協案)。
5) 投与期間と心毒性の扱い
- トラスツズマブ期間:国際的標準は**“1年”ですが、PERSEPHONEでは“6か月”が“12か月”に対し非劣性を示し、心障害など有害事象も少ないことが報告されています。低リスク例や心機能低下時の短縮検討**にエビデンスがあります(ただし国/施設で運用差がある点に留意)。
- 心機能管理:H/T-DM1いずれも心毒性は稀だがゼロではないため、開始前・治療中のLVEFモニタリングが推奨。ATEMPT解析では**T-DM1の重度LVEF低下は約0.8%**と低頻度でした。
6) 実践アルゴリズム(目安)
- T1miN0:全身治療不要(HR陽性なら内分泌療法+放射線を状況に応じ検討)。
- T1aN0:
- HR陽性・低グレード・LVI陰性→経過観察±内分泌療法も妥当。抗HER2導入は症例選択。
- HR陰性/高リスク所見→**TH(12週+H計1年)**を積極検討。
- T1bN0:TH(標準)、代替としてT-DM1 1年を状況で選択。HR陽性なら内分泌療法追加。
- T1cN0:多くはTH(またはT-DM1)。HR陰性・高リスクではTCbH等を個別検討。術前療法はサイズ推定が不確か/多発などのときに選択肢。
- 高齢・ハイフレイル:H単剤という“縮小プロトコール”は非劣性は未達だが臨床的な妥当性あり。合併症や患者価値観とバランス。
- PERTUZUMAB追加:N0では原則不要(APHINITY長期で恩恵は主にN+)。
- H期間短縮:6か月Hは非劣性の根拠あり。心毒性や社会的要因で個別短縮を検討。
7) 日本の実臨床メモ
日本乳癌学会(JBCS)ガイドラインは国際指針と概ね整合し、**小腫瘍HER2陽性では“TH中心の縮小補助療法”**を基盤に個別化する流れです(病理診断・HER2判定はASCO/CAP 2023改訂を反映)。個々の適応・用法は最新版の院内レジメン/診療科方針に従ってください。
まとめ(ポイント)
- T1miは原則、全身治療不要。T1aは症例選択、T1b/cは**TH(±内分泌)**が実臨床の柱。
- APT最終10年は長期成績きわめて良好で“縮小補助療法”の標準を確立。ATEMPTはT-DM1の高い有効性と毒性プロファイルの違いを示し、THの代替になり得る。
- PERTUZUMABはN0では通常不要。H 6か月短縮は非劣性の根拠あり、心毒性や合併症で活用。高齢/脆弱例ではH単剤という“現実的な選択肢”も、非劣性未達を説明のうえで。
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トリプルネガティブタイプの早期乳癌の特殊型の解説、またその薬物療法の内容について
1.特殊型トリプルネガティブ乳癌(TNBC)とは
通常のTNBC(浸潤性乳管癌NST・高悪性度)とは生物学的に異なる低悪性度群が含まれ、再発リスクが低く化学療法を縮小できる可能性があります。一方で化学療法感受性が低い型もあり、病理診断の精度が治療方針を大きく左右します。
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腺様嚢胞癌(Adenoid cystic carcinoma; AdCC):TN表現型が多いのに長期予後は良好。小腫瘤・リンパ節転移(-)なら手術±放射線で管理され、全身化学療法は個別判断。近年のレビューでも「過剰治療回避」を示唆。
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分泌癌(Secretory carcinoma):ETV6–NTRK3融合が高頻度。早期では予後良好。再発・進行例でNTRK阻害薬(例:ラロトレクチニブ/エヌトレクチニブ)という腫瘍横断的治療の選択肢が生じます。
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低悪性度腺扁平上皮癌(LGASC):メタプラジア癌の一亜型だが臨床経過は緩徐。局所再発はあり得るが遠隔・リンパ節転移は稀で、T1N0なら過大な全身治療は慎重に。
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線維腫症様メタプラジア癌(Fibromatosis-like):同じ“メタプラジア”でも良好な予後で局所再発に注意。全身化学療法は個別化。
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Tall cell carcinoma with reversed polarity(TCCRP):多くがTN表現型で非常に穏やか。報告集積でも再発率は低く、術後無治療〜最小限治療で経過良好の例が目立ちます。
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アポクリン癌(Triple-negative apocrine carcinoma; TNAC):アンドロゲン受容体(AR)陽性が典型。術前化学療法の効果は乏しい一方、全体予後は比較的良好という傾向。
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腺房細胞癌(Acinic cell carcinoma):希少で多くがTN表現型。低悪性度成分が主体なら穏やかだが、高悪性度成分を伴うと振る舞いはNST-TNBCに近づくため、病理の詳細読解が重要。
実務上の示唆:「小さい腫瘍径・リンパ節転移陰性・低悪性度の特殊型」では、化学療法の省略や縮小も検討。逆に高悪性度のメタプラジア癌は化学療法感受性が低めで、標準強度の全身治療や臨床試験の優先度が上がります。
2.早期TNBCの薬物療法(病期別の基本線)
2-1 腫瘍径・リンパ節転移に基づく一次方針
大規模ガイドライン・総説では、T1N0の扱いは概ね以下の整理です。
T1aN0(≤5mm):原則化学療法なし、T1bN0(>5–10mm):検討、T1cN0(>10–20mm)またはリンパ節転移陽性:化学療法推奨。
特殊型の“例外”:前述のAdCCやLGASC、TCCRPなど低悪性度で小型・リンパ節転移陰性の症例は、上記の一般則よりさらに縮小できる余地があり、病理再評価とカンファレンスが有用です。
2-2 病期II–IIIの標準:術前ペムブロリズマブ+化学療法 → 術後もペムブロ継続
KEYNOTE-522は、パクリタキセル+カルボプラチン→(アンスラサイクリン+シクロホスファミド)の術前化学療法にペムブロリズマブを併用し、術後もペムブロで完了する設計で、pCR・EFSに加えOSも有意改善を示しました(60か月OS 86.6% vs 81.7%)。PD-L1判定は不要。現在、病期II–IIIの標準です。
2-3 術前治療後の“仕上げ(術後アジュバント)”
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pCR達成:そのままペムブロリズマブを規定期間まで継続。
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非pCR(残存病変あり):
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カペシタビン追加(6–8サイクル)。CREATE-XでDFS/OS上乗せが確立。
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gBRCA1/2陽性かつ高リスク:オラパリブ1年。OlympiAの長期追跡でもOS含め有意な利益が持続。
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併用か順次か:ペムブロ・カペシタビン・オラパリブの三者同時併用エビデンスは限定的で、骨髄抑制など有害事象の重複にも注意。**通常は順次(シーケンシャル)**投与が安全です(施設方針に従う)。エビデンス自体は上記個々の試験で確立。
2-4 術後一次化学療法(術前治療を行わない病期Iなど)
**ddAC→T(アンスラサイクリン→タキサン)やTC×4(ドセタキセル+シクロホスファミド)**が代表的レジメン。プラチナは術前上乗せの文脈で用いられることが多く、術後一次治療でのRoutineではない位置づけです。
3.特殊型×薬物療法の実務ポイント(早期例)
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病理の確定が最重要:特殊型の同定で方針は大きく変化します。AdCC/LGASC/TCCRP/一部Acinicなどは小型・リンパ節転移陰性なら化学療法省略や縮小を検討し得ます。疑わしい場合は病理セカンドオピニオンを。
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メタプラジア癌の扱い:MpBC全体は化学療法のpCR率が低め。ただし線維腫症様など低悪性度亜型は別群として扱い、局所制御重視+過剰化学療法回避を検討。一方、高悪性度メタプラジアは免疫併用を含む標準強度で。
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遺伝学的検査:gBRCA1/2はオラパリブ適応を左右。NTRK融合が同定された分泌癌などでは、再発・進行時にTRK阻害薬が腫瘍横断的適応で検討可能。
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T1N0の匙加減:一般則はT1aなし/T1b検討/T1c推奨だが、低悪性度特殊型ではさらに縮小、逆に高悪性度・Ki-67高値・若年などは積極治療寄りに。患者背景・希望と合併症リスクも必ず加味します。
4.まとめ
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特殊型TNBCには、AdCC・分泌癌・LGASC・TCCRP・一部Acinicのように低リスクで化学療法縮小を検討可能な群が存在します。一方、メタプラジア癌全般は化学療法感受性が相対的に低く、プラニングが重要です。
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病期II–IIIの標準は、術前ペムブロ+化学療法→術後もペムブロ(KEYNOTE-522:OS有意改善)。残存病変にはカペシタビン、gBRCA陽性高リスクにはオラパリブ1年がエビデンス確立。
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T1N0はT1aなし/T1b検討/T1c推奨が基本だが、低悪性度特殊型では過剰治療回避の余地。病理レポート(型・サイズ・節・グレード・Ki-67・融合遺伝子等)をもとに個別最適化が鍵です。
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