トリプルネガティブタイプの早期乳癌の特殊型の解説、またその薬物療法の内容について
トリプルネガティブ(Triple Negative Breast Cancer: TNBC)タイプの乳癌は、乳癌全体の約15〜20%を占める悪性度の高いサブタイプです。このタイプは、ホルモン受容体(エストロゲン受容体 ER、プロゲステロン受容体 PgR)およびヒト上皮増殖因子受容体2型(HER2)がすべて陰性であるという特徴を持ち、内分泌療法や抗HER2療法が効かず、主に化学療法が治療の主軸となります。
TNBCの多くは、特殊な組織像を持たない浸潤性乳管癌の非特殊型(IDC-NST)に分類されますが、一部には予後や治療反応性が大きく異なる特殊型が存在します。これらの特殊型を正確に診断することは、患者さんにとって適切な治療戦略(特に化学療法の強度)を選択するために極めて重要です。
本稿では、早期乳癌におけるTNBCの特殊型に焦点を当て、その病理学的特徴と、各特殊型および標準TNBCに対する薬物療法の最新の内容について、詳細に解説します。
1. トリプルネガティブ乳癌(TNBC)の概要
TNBCは、以下の生物学的特徴を持ちます。
高悪性度: 組織学的悪性度(HG)が高く、増殖の指標であるKi67が高率(60%以上)であることが多い。
予後: 治療しなければ予後が悪いが、化学療法に対する感受性が高いため、早期に病理学的完全奏効(pCR)が得られた場合の予後は良好。
再発パターン: 診断後5年以内の早期再発が多い。
分子学的特徴: 多くのTNBCは基底細胞様(Basal-like)の遺伝子発現パターンを示し、遺伝子変異修復経路に関わるBRCA1/2遺伝子変異が高い頻度で見られます。
2. TNBCの特殊型とその病理学的特徴
TNBCに分類される特殊型乳癌は、全体のごく一部ですが、その組織学的特徴から、通常のIDC-NSTとは異なる生物学的特性や予後を示すことが知られています。
2-1. 予後が比較的良好な特殊型
これらの特殊型はTNBCの定義を満たすにも関わらず、非特殊型TNBCに比べて予後が極めて良好であるため、化学療法の適応が慎重に検討されます。
① 腺様嚢胞癌(Adenoid Cystic Carcinoma: AdCC)
特徴: 非常に稀なタイプで、乳腺外の唾液腺や気管支腺にも発生する腫瘍と組織像が類似しています。病理学的には、篩状構造(ふるいのような構造)や管状構造を特徴とします。
TNBCへの分類: ほとんどのAdCCはER・PgR・HER2陰性であり、TNBCに分類されます。
予後: 極めて良好。再発は非常に稀で、リンパ節転移もほとんど起こりません(約1%)。遠隔転移はさらに稀です。
治療への影響: 予後が良すぎるため、術後化学療法の恩恵がないと考えられており、基本的に局所療法(手術と放射線治療)が治療の主体となります。
② 髄様癌(Medullary Carcinoma: MC)
特徴: 腫瘍細胞が緻密に増殖し、リンパ球・形質細胞の著しい浸潤(免疫細胞の強い反応)が見られます。腫瘍辺縁が滑らかであることが多いです。
TNBCへの分類: 多くのMCはTNBCに分類されますが、厳密な病理学的定義を満たす純粋なMCは稀で、予後も通常のTNBCに比べて良好とされます。
治療への影響: 通常のTNBCと同様に化学療法に対する感受性は高いですが、予後が良いため、化学療法の適応が議論されることがあります。
③ 分泌癌(Secretory Carcinoma: SC)
特徴: 非常に稀で、細胞内に空胞を持ち、その中に分泌物(PAS陽性物質)を貯留しているのが特徴です。若年者に多く見られます。
TNBCへの分類: ほとんどがTNBCですが、E-Cadherin陽性など独特な免疫染色パターンを示します。
予後: 極めて良好。リンパ節転移も少なく、再発・転移のリスクは非常に低いとされます。
2-2. 予後が様々、または通常のTNBCに近い特殊型
④ 化生癌(Metaplastic Carcinoma: MpBC)
特徴: TNBCの約5%を占めます。腺癌成分に加え、扁平上皮癌成分や肉腫(骨、軟骨、線維)成分など、非腺上皮性の成分を含むのが特徴です。
TNBCへの分類: ほとんどがTNBCです。
予後: 通常のTNBCより予後不良とされることが多いです。
治療への影響: 通常のTNBCの化学療法(アンスラサイクリン/タキサン)への反応性が低く、化学療法抵抗性を示すことが知られています。治療が最も難しい特殊型の一つです。
⑤ アポクリン癌(Apocrine Carcinoma: AC)
特徴: アポクリン腺(汗腺)に類似した大きな好酸性の細胞質を持つ細胞が特徴です。
TNBCへの分類: 多くのACはER・PgR陰性でTNBCに含まれますが、一部、特殊な男性ホルモン受容体(AR)陽性のパターンを示すものもあります。
治療への影響: TNBCとしての標準治療に準じることが多いですが、AR陽性であれば内分泌療法(抗アンドロゲン薬)が検討されることがあります。
3. TNBC特殊型における薬物療法の内容
TNBCの薬物療法は、化学療法を主軸とし、近年では免疫チェックポイント阻害薬やPARP阻害薬といった新規薬剤が早期乳癌の術前・術後補助療法として加わり、標準治療が大きく変化しています。
薬物療法の適用は、特殊型か否かと**病期の進行度(腫瘍径、リンパ節転移の有無)**によって判断されます。
3-1. 予後良好な特殊型(AdCC, SC, MC)の薬物療法
予後が極めて良好である特殊型においては、化学療法の適応は非常に低い、あるいは不要と判断されます。
腺様嚢胞癌(AdCC)/ 分泌癌(SC):
基本的に化学療法は推奨されない。局所治療(手術と放射線治療)が完了すれば、術後補助療法は終了となることが一般的です。
髄様癌(MC):
厳密なMCの定義を満たす場合は、予後良好性から化学療法を省略する検討がなされますが、IDC-NSTに近い非定型的な場合は、通常のTNBCの化学療法に準じることがあります。
3-2. 標準的なTNBC(IDC-NSTおよび化生癌など)の薬物療法
特殊型の中でも化生癌など、予後が不良であるか、通常のTNBCに近い組織型と判断される場合は、以下の標準的な治療が適用されます。
① 術前化学療法(ネオアジュバント療法)の重要性
早期乳癌であっても、腫瘍径が大きい場合(T2以上)や、リンパ節転移陽性の場合には、術前化学療法が強く推奨されます。
目的: 腫瘍を小さくして切除可能にするだけでなく、治療に対する感受性を確認し、**病理学的完全奏効(pCR:がん細胞が完全に消失した状態)**を目指すことです。pCRが得られた患者さんは、術後予後が格段に向上します。
② 術前化学療法の標準レジメン
TNBCの標準レジメンは、主にアンスラサイクリン系とタキサン系の薬剤を組み合わせたものです。
薬剤の種類 代表的なレジメン例 アンスラサイクリン系 エピルビシン(E)やドキソルビシン(A)+シクロホスファミド(C) タキサン系 ドセタキセル(D)やパクリタキセル(T) 組み合わせ例として、EC療法を4サイクル行った後に、タキサン系薬剤(DまたはT)を4サイクル行うEC-DやAC-Tなどが用いられます。
③ 免疫チェックポイント阻害薬(ICIs)の併用
近年、TNBC治療の成績を大きく向上させているのが、免疫チェックポイント阻害薬です。
薬剤: ペムブロリズマブ(商品名:キイトルーダ)
適応: TNBCの早期乳癌に対し、術前化学療法と併用して投与されます。
効果: 化学療法単独に比べ、pCR率を有意に高め、術後の再発リスクを低下させることが証明されています(KEYNOTE-522試験)。
④ 術後の治療戦略(Post-Neoadjuvant Therapy)
術前化学療法を行ったにもかかわらず、がん細胞が完全に消失しなかった(pCR非達成)患者さんに対しては、術後に**さらなる補助療法(強化療法)**が検討されます。
カペシタビン: 術前にアンスラサイクリン/タキサン系治療を受けたにもかかわらずpCR非達成の場合、カペシタビン(ゼローダ)の内服が標準的な強化療法です。
ペムブロリズマブの継続: 術前からペムブロリズマブを投与していた場合、術後もペムブロリズマブを継続することが推奨されます。
⑤ BRCA変異陽性者へのPARP阻害薬
遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)の原因遺伝子であるBRCA1/2遺伝子変異が陽性の患者さん(TNBCで高頻度に見られる)の場合、特定の薬剤が有効です。
薬剤: オラパリブ(商品名:リムパーザ)
適応: 術前に化学療法を受け、術後にがん細胞が残存している(pCR非達成)BRCA変異陽性者に対し、オラパリブを1年間内服することで、再発リスクを有意に低下させることが示されています(OlympiA試験)。
3-3. 化生癌(MpBC)の薬物療法への注意点
化生癌は前述の通り、通常のTNBCレジメン(アンスラサイクリン/タキサン)に対する反応性が低いことが特徴です。
代替レジメンの検討: プラチナ製剤(シスプラチン、カルボプラチン)やゲムシタビンといった、通常とは異なる薬剤を組み合わせたレジメンが検討されることがありますが、標準治療としての確固たるエビデンスは未だ確立されていません。
免疫療法の期待: TNBCであるため免疫療法の適応がありますが、非定型的な組織像を持つため、今後の研究により最適な治療法の確立が待たれます。
4. 結論と今後の展望
早期TNBCにおける特殊型の診断は、化学療法を回避できる可能性(AdCC, SCなど)と、標準化学療法が効きにくい可能性(MpBC)を判断する上で不可欠です。
特に、化学療法が必須と判断されるTNBCにおいては、近年、ペムブロリズマブの併用や、BRCA変異陽性者へのオラパリブの導入により、治療成績が飛躍的に向上しています。
TNBCは最も個別化治療が進んでいる領域の一つです。ご自身の特殊型がどの分類に属し、またBRCA変異の有無など、詳細な検査結果に基づき、主治医と相談しながら最適な治療戦略を選択することが重要です。