乳がんの遠隔転移と治療

乳がんは、早期に発見され治療されれば高い治癒率が期待できますが、進行すると他の臓器に転移することがあり、特に「遠隔転移」と呼ばれる状況では、治療の難易度が高まります。遠隔転移は乳がんの予後に重大な影響を与えるため、転移先の臓器に応じた治療戦略が重要です。ここでは、乳がんの遠隔転移のメカニズム、主要な転移先、診断方法、そして治療の選択肢について記述します。

1. 乳がんの遠隔転移の概要

1.1 遠隔転移とは

乳がんの遠隔転移は、原発の乳房から離れた臓器や組織にがん細胞が移動し、増殖することを指します。一般的な転移先としては、肝臓が挙げられます。転移が発生すると、乳がんはステージIVに分類され、治癒が難しく、緩和的な治療や生活の質を高めるための治療が主に行われることが多くなります。

1.2 転移のメカニズム

がん細胞が遠隔臓器に転移するプロセスは複雑です。まず、がん細胞は原発巣から血管リンパ管に入り、全身を循環します。その後、特定の臓器に定着し、そこに新しい腫瘍を形成します。この過程には、がん細胞の遊走能力免疫回避機構転移先の微小環境が深く関与しており、これらが複合的に作用して転移が成立します。

2. 主要な転移先とその特徴

2.1 骨への転移

は乳がんの遠隔転移の最も一般的な部位の一つです。乳がんの転移の約70%が骨に起こるとされ、脊椎肋骨骨盤大腿骨などが主な部位です。骨転移は骨を脆弱にし、病的骨折疼痛脊髄圧迫症候群などの深刻な症状を引き起こすことがあります。

骨転移の治療

骨転移の治療は、痛みの緩和と骨の強度を維持することが中心です。治療には以下の方法が含まれます。

  • ビスホスホネートデノスマブなどの薬物:これらは骨の吸収を抑制し、骨折や骨痛のリスクを減少させます。
  • 放射線療法:局所的な痛みを和らげ、病的骨折のリスクを軽減するために使用されます。
  • 外科的固定術:病的骨折が起こった場合、または骨折のリスクが高い場合に、手術によって骨を固定することがあります。

2.2 肺への転移

も乳がんが転移しやすい臓器の一つです。肺への転移は、しばしば無症状であるため、定期的な画像検査で偶然に発見されることが多いです。しかし、進行すると息切れ胸痛などの呼吸器症状が現れます。

肺転移の治療

肺転移の治療は、全身的な治療と局所的な治療の組み合わせで行われます。全身療法は、乳がん全体の進行を抑えることを目的とし、局所療法は肺自体の症状を緩和するために使用されます。

  • 全身的治療:化学療法、ホルモン療法、分子標的療法が用いられます。HER2陽性の場合は、トラスツズマブ(ハーセプチン)や他のHER2標的薬が効果を示します。
  • 局所的治療:放射線療法や外科的切除が行われることもありますが、肺全体に広がる転移ではこれらの手法は限定的です。

2.3 肝臓への転移

肝臓も乳がんの転移の一般的な部位で、乳がん患者の約50%が肝転移を経験します。肝臓は血流が豊富であり、がん細胞が定着しやすい臓器です。肝転移は無症状のことも多いですが、進行すると黄疸腹水食欲不振体重減少などの症状が現れることがあります。

肝転移の治療

肝転移の治療も全身療法が中心ですが、局所的な治療も併用されることがあります。

  • 化学療法:全身的な乳がん治療として化学療法が行われ、肝臓の転移巣を含めて治療が進められます。ホルモン受容体陽性の場合は、ホルモン療法が効果的な場合もあります。
  • 局所的治療:肝転移に対しては、局所的なアブレーション(高周波熱や冷凍治療)や動脈内化学療法が適用されることがあります。また、症状が限定的な場合は、肝切除手術が行われることもあります。

2.4 脳への転移

乳がんの脳転移は、全体の5~15%の患者に発生します。脳転移はしばしば重篤な症状を伴い、頭痛吐き気神経学的異常(運動麻痺、視覚障害、痙攣など)が生じることがあります。脳転移は進行が速く、予後が悪い場合が多いです。

脳転移の治療

脳転移の治療は、全身的な治療に加えて、脳内腫瘍に特化した局所的な治療が行われます。

  • 放射線療法:全脳放射線療法(WBRT)や定位放射線療法(ガンマナイフなど)が用いられ、腫瘍の増殖を抑える効果が期待されます。
  • 手術:脳内の転移巣が単発であり、手術可能な位置にある場合、外科的切除が行われることがあります。
  • 全身療法:HER2陽性の乳がんに対しては、トラスツズマブや、最近では脳血管関門を通過できる新しい分子標的薬が効果を示すことがあります。

3. 遠隔転移の診断とモニタリング

3.1 診断方法

遠隔転移を診断するためには、以下の検査が使用されます。

  • 画像診断:X線、CT、MRI、PETなどの画像検査は、転移の部位と範囲を評価するために使用されます。特に骨転移には骨シンチグラフィーが有効です。
  • 血液検査:がんマーカー(CA15-3、CEAなど)や肝機能、腎機能の検査が行われ、転移の進行や治療効果のモニタリングに役立ちます。

3.2 モニタリング

治療中および治療後の再発や転移の監視は、定期的な画像検査血液検査を通じて行われます。早期に転移が発見された場合、治療選択肢が広がり、症状のコントロールが容易になることが多いため、定期的なフォローアップが重要です。

4. 遠隔転移の治療戦略

遠隔転移乳がんの治療戦略は、患者の年齢、全身状態、がんの性質、転移の部位と数、患者の希望などに基づいて個別に決定されます。以下に主要な治療方法を解説します。

4.1 化学療法

化学療法は、乳がん治療の基本的な全身療法で、遠隔転移が確認された場合も広く使用されます。化学療法はがん細胞を直接攻撃し、進行を抑える目的で使用されます。転移の部位にかかわらず、化学療法は全身に作用するため、複数の転移巣に対しても有効です。

特に、ホルモン受容体陰性やHER2陰性、トリプルネガティブ乳がんに対しては、化学療法が最も有効な治療選択肢となる場合が多いです。

4.2 ホルモン療法

ホルモン受容体陽性の乳がんに対しては、ホルモン療法が適用されます。ホルモン療法は、エストロゲンの効果を抑制することでがん細胞の増殖を抑える働きをします。タモキシフェンやアロマターゼ阻害薬が一般的に使用されます。

転移があってもホルモン療法が有効な場合、比較的副作用が少なく、長期間の治療が可能です。また、ホルモン療法は進行が緩やかな転移性乳がんの患者に適している場合が多いです。

4.3 分子標的療法

分子標的療法は、がん細胞の特定の分子を狙って攻撃する治療法です。特にHER2陽性乳がんでは、トラスツズマブ、パージェタ、カドサイラなどのHER2を標的とした薬剤が有効です。これらの薬剤は、転移があっても治療効果を発揮し、生存期間の延長が期待できます。

最近では、PI3K阻害薬CDK4/6阻害薬など、ホルモン受容体陽性乳がんやトリプルネガティブ乳がんに対する新しい分子標的薬が開発され、治療の選択肢が広がっています。

4.4 免疫療法

免疫療法は、患者の免疫系を活性化してがん細胞を攻撃する治療法です。乳がんに対しては、特にトリプルネガティブ乳がんに対する免疫チェックポイント阻害剤が効果を示しており、抗PD-1/PD-L1抗体が使用されています。

免疫療法は、がん細胞が免疫系を回避する仕組みを解除し、免疫細胞が再びがんを攻撃できるようにするため、転移性乳がんの新しい治療選択肢として注目されています。

5. 緩和ケアとQOLの向上

遠隔転移を伴う乳がん患者に対しては、がん自体の治療だけでなく、緩和ケアが非常に重要です。緩和ケアは、患者の苦痛を和らげ、生活の質(QOL)を向上させることを目的としています。

5.1 痛みの管理

骨転移や脳転移などの患者では、疼痛が深刻な問題となることが多いです。痛みの管理には、オピオイドや非ステロイド系抗炎症薬(NSAIDs)などの鎮痛薬が使用されます。また、放射線療法や神経ブロックなども、痛みを和らげるために用いられます。

5.2 精神的サポート

転移性乳がんの診断は、患者にとって精神的な負担が大きく、うつ不安が生じることがあります。患者が精神的に安定した状態を保つためには、カウンセリングやサポートグループの利用が推奨されます。

5.3 栄養管理

進行がんの患者にとって、適切な栄養管理は非常に重要です。体重減少や栄養失調を防ぐために、栄養士によるサポートを受けることが推奨されます。

6. まとめ

乳がんの遠隔転移は、患者の予後や治療方針に大きな影響を与えます。転移先や個々の患者の状況に応じて、全身療法と局所療法の組み合わせを最適化することが重要です。また、緩和ケアや生活の質を重視したサポートも不可欠です。乳がんの治療は、科学の進歩とともに進化しており、転移があっても生存期間の延長やQOLの改善が期待されるようになっています。

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乳がんの遠隔転移と治療

30%は骨転移

乳がんは、最初に骨に転移することが多く、遠隔転移の約30%は骨転移です。
そのほか、リンパ節、胸膜、胸壁、肺、肝臓、脳なども、乳がんが転移しやすい部位です。こうした部位に転移したがんは、「転移性乳がん」、あるいは「乳がんの骨転移」とか「乳がんの肺転移」といった言い方をします。
転移したがんは、肺や肝臓など、どの臓器に転移しようとも、乳がんの性質をそのまま持っており、原発性の肺がん(最初から肺に発生したがん)や肝臓がんとはまったく異なるものです。薬も、乳がんに効果のあるものを使います。

転移した部位と治療

遠隔転移を起こした場合は、全身のがんをたたく薬物療法が基本になりますが、転移した部位の症状がある場合には、薬物療法と併行して転移した局所の治療を行うこともあります。あるいは、薬物療法が効果をあらわすには数週間から3カ月ぐらいかかるので、薬物療法を先行してから局所の治療を行うこともあります。

骨転移

骨の中でも、乳がんが転移しやすいのは、腰椎@ようつい@や胸椎@きようつい@、頸椎@けいつい@などの背骨や骨盤、肋骨@ろつこつ@、頭蓋骨、腕の上腕骨@じようわんこつ@、足の大腿骨@だいたいこつ@などです。
血液やリンパに乗って骨髄に転移したがん細胞は、そこで増殖し、やがて骨を溶かします。そのため、骨が弱くなり、ちょっとした拍子に手足を骨折したり、背骨の場合は自分の重みで圧迫骨折を起こすこともあります。
骨折の痛みは突然に起こりますが、骨折をしなくても、転移した骨には痛みが出ることがあります。これは、正常の骨の組織ががんの増殖によって破壊されることが原因です。初期にはあまり痛みはありませんが、やがて強い痛みを起こすこともあります。
増殖したがんや圧迫骨折などによって、脊髄の中を走る脊髄神経が圧迫されると、手足のしびれやマヒが起こることもあります。神経が損傷されてしまうと、こうした症状が治らなくなるので、できるだけ早く治療を受ける必要があります。
また、骨が溶けると、血液中にカルシウムが増え、高カルシウム血症を起こすことがあります。高カルシウム血症を起こすと、のどが渇く、ムカムカする、尿量が増える、おなかが張る、便秘、ボッーとするといった症状があらわれます。このような場合も、早く治療を受けないと、脱水症状が進み、腎臓の働きが低下してしまいます。

検査と治療

骨転移の有無は、骨シンチグラフィを基本に、MRI検査、X線検査、PET–CT検査などで調べます。
骨転移があっても、特に症状がなければ、経過を観察します。しかし、痛みがある場合には、痛み止めの内服薬を飲み、それでもコントロールできないときにはモルヒネ(麻薬)を使います。またゾレドロン酸という、骨粗鬆症の治療にも効果のある薬を使うことで、骨折や痛みをある程度予防することができます。ゾレドロン酸は、骨からカルシウムが溶け出すのを防ぐので、高カルシウム血症の治療にも使われます。
骨折が起こりそうな部位があったり、痛みが非常に強い場合は、手術や放射線という治療法もあります。
大腿骨の中央部や、股関節を構成する大腿骨骨頭などに転移がある場合には、骨折を起こす前に内固定をしたり、転移した病巣を切除し、人工骨頭にかえるなど、整形外科的な手術を行う方法もあります。これによって、骨折を防ぎ、歩行が困難になることを防ぐことができます。
背骨の脊椎に転移がある場合は、圧迫骨折を防ぐために、破壊された脊椎に骨セメントを注入して強化する方法もあります。この方法は、骨が不安定になって背骨に痛みを起こしているケースにも効果的です。
放射線治療は、転移したがんの増大を抑え、骨の痛みをやわらげるのに効果があります。骨転移には体外から放射線をかける外照射が放射線治療の中心になりますが、ストロンチウムを用いた内照射という方法もあります。

脳転移

がんが脳へ転移すると、頭痛、めまい、ふらつき、手足のマヒなど、転移した部位によってさまざまな症状があらわれてきます。
転移の有無は、造影剤を使ったMRI検査で確認できます。
脳の転移巣が大きくなると、頭蓋骨内部の圧が上がって脳が圧迫され、いろいろな症状があらわれます。そこで、転移巣を治療して症状を緩和するために、脳外科手術やガンマナイフ、リニアックなどの放射線療法が行われます。
脳には脳血液関門という異物の侵入を防ぐゲートがあるため、抗がん剤をはじめとする薬物療法の効果は限定的です。
転移した病巣が一個で、部位的に取りやすい位置にあれば、患者さんの状態によっては手術で病巣を摘出することもあります。
脳転移の治療は、放射線治療が中心となります。ガンマナイフやサイバーナイフは、定位照射といい、頭を固定した状態で、ピンポイントで放射線を照射します。これによって、脳の奥のほうなど、手術がむずかしい部位にできたがん病巣でもつぶすことができます。小さな脳転移が1個だけならば、外科手術でも、ガンマナイフなどの定位照射でも成績は同じです。
3~4個のがんならば、ガンマナイフなどの定位照射行うことができますが、がんが脳に多発しているような場合には、脳全体に放射線を照射する全脳照射という方法が基本となります。外科手術や定位照射を行った場合も、その後の再発予防のため通常は全脳照射を追加します。

肺や肝臓への転移

肺の場合、肺の末梢に結節(コブのような固まり)をつくるタイプと、肺や胸膜のリンパ管にがんが詰まって水(胸水)がたまるタイプとがあります。
結節タイプは、比較的進行が遅く、進行しても症状が出ないこともあります。水がたまるタイプは、咳@せき@や呼吸困難などの症状が出るので、早期の手当てが必要です。
肝臓の場合は、沈黙の臓器といわれるように、転移があっても、ほとんど症状はありません。そのため、全身的な治療法である薬物療法が優先されるのが一般的です。

検査と治療

肺転移はX線検査やCT検査で確認されます。
結節タイプの場合は症状がないので、転移性乳がん治療の基本である全身の薬物療法が先行されます。ただ転移が1~2個だけの場合は、本当に転移かどうかわからない。良性かもしれないし、肺原発の肺がんかもしれないという問題もあり、胸腔鏡下の手術で切除して診断をはっきりさせます。また可能であればホルモン受容体やHER2受容体を転移巣で調べたいという目的もありかつてよりも切除意義が認められるようになりました。
これに対して、水がたまるタイプは、がん性胸膜炎のために肺の外側に急速に胸水がたまり、肺を圧迫して呼吸が困難になります。呼吸を楽にするために、外から胸に針を刺して水を抜きます。水を抜くために管を留置し、この管から薬を入れて、水がたまらないように肺の胸膜面を癒着@ゆちやく@させることもあります。
同じように、がん性心嚢膜@しんのうまく@炎のため、心臓のまわりに水がたまることがあります。水がたまると心臓が圧迫されてうまく拍動することができなくなり、急速に心不全が進行します。がん性心嚢膜炎はがん救急の代表的な病態です。この場合も、心臓のまわりに針を刺してたまった水を吸引します。

☆コラム 転移再発がんに対する抗がん剤の効果と奏効率

遠隔転移の場合、ホルモン受容体が陰性ならば、抗がん剤の治療を行うことになります。また、ホルモン療法が効かなくなった場合にも抗がん剤が使われますが、その効果はどの程度期待できるのか、気になるところです。
アドリアマイシンなど、アンスラサイクリン系の抗がん剤を最初の治療として使った場合、奏効率は50~60%で、効果は半年程度続きます。かつて乳がん治療の標準治療であったCMF療法(○ページ参照)より、奏効率、持続期間ともにすぐれています。
バクリタキセルやドセタキセルなど、タキサン系の抗がん剤は、アドリアマイシン系の抗がん剤と同等の治療効果と考えられています。アドリアマイシン系後の二次治療として用いた場合の奏効率は30~50%。効果の持続期間は数カ月程度です。
このように、現在のところ、転移再発乳がんの治療では、アンスラサイクリン系の抗がん剤やタキサン系の抗がん剤が第一選択になっています。HER2陽性ならば、抗がん剤にトラスツズマブを上乗せして用います。
この他にも経口の抗がん剤であるカペシタビン、TS-1,最近日本で認可されたゲムシタビン、近日中認可予定のエリブリンなど選択肢は増えてきています。
ただ、ここで注意してほしいのが、奏効率という意味です。これは、「治る」とか「がんが消える」という意味ではありません。がん治療では、「がんの大きさが半分以上小さくなった人の割合」を奏効率といいます。奏効率50%といえば、50%の人が、がんの大きさが面積比で半分以下に縮小した、という意味です。それによって生存期間が延長したかどうかはまた別問題なのです。