早期トリプルネガティブ乳癌の具体的治療について

<質問>35歳女性で、早期のトリプルネガティブ乳癌と診断されました。腫瘍径(浸潤径)は1.5㎝でT1N0M0 StageⅠと診断されています。病理診断の詳細は、浸潤性乳管癌 HG=3 NG=3 ER- PgR- HER2(0) Ki67 60%でした。乳癌、卵巣癌の家族歴はなく、可能であれば今後の妊娠、出産の希望があります。今後の治療法について教えてください。1)手術先行か、薬物療法先行か? 2)遺伝子検査の適応について 3)妊孕性温存についてもコメントを追加してください。2025年9月

<回答>
ご相談ありがとうございます。35歳、T1N0M0(浸潤径1.5cm=T1c)・StageⅠのトリプルネガティブ乳がん(TNBC)という前提で、現時点の標準的な考え方をまとめます。年齢が若く、将来の妊娠希望がある点もふまえ、①手術と薬物療法の順番、②遺伝学的検査の適応、③妊孕性温存(将来の妊娠・出産)について、実践的な選択肢と注意点を整理します。

1) 手術先行か、薬物療法(化学療法)先行か?

総論
T1cN0の早期TNBCでは、手術先行+術後(補助)化学療法と、術前(ネオアジュバント)化学療法+手術のどちらも合理的です。どちらを選ぶかは、(A)腫瘍の局在・整容性、(B)術前治療での縮小効果や病理学的完全奏効(pCR)の評価を活かした“術後治療の強弱調整(エスカレーション/ディエスカレーション)”を重視するか、(C)免疫療法の適応(現状、原則はStage II–III)やプラチナ製剤の使い方、(D)患者さんの価値観(時間、妊孕性、脱毛回避など)を総合して決めます。

手術先行の利点・想定シナリオ

  • 腫瘍径1.5cm・臨床的リンパ節陰性であれば、乳房温存術+センチネルリンパ節生検が現実的(術後は乳房照射が基本)。整容性の面で十分温存が可能なことが多いです。

  • 病理確定後に補助化学療法(後述)を追加。TNBCで腫瘍径≥1cmなら原則、術後化学療法を推奨します。

  • 免疫療法(ペムブロリズマブ)は現状、主にStage II–IIIの術前投与+術後継続が標準で、Stage Iでは一般的適応外。したがって手術先行でも「免疫療法を逃す」不利益は基本的にありません

  • 「まず切って病期とリスクを確定し、必要十分の化学療法を」—というシンプルさが利点。

術前化学療法(ネオアジュバント:NAC)の利点・想定シナリオ

  • 腫瘍縮小により温存率を上げたい場合や、術後治療の最適化(pCRなら追加治療を軽く、残存がんならカペシタビン追加など)を狙う場合に選択肢。

  • TNBCはNACでpCR率が比較的高い腫瘍群。pCRが得られれば予後良好の目安になります。

  • NACではプラチナ製剤(例:カルボプラチン)をタキサンと併用するレジメンが用いられることがあり、pCR率の上昇が期待されます(長期生存利益は症例選択・レジメンにより一様ではありません)。

  • 一方、Stage Iでは免疫療法の標準適応は限定的で、NACを選ぶ主目的は「pCR可視化と術後調整(残存時のカペシタビン、BRCA変異があればPARP阻害薬適応の検討など)」に置かれます。

  • NACを選ぶ場合は、**パクリタキセル±カルボプラチン→アンスラサイクリン系(AC)**の順などが代表例。

まとめ(推奨の道筋)

  • 多くの施設では、**T1cN0 TNBCは「手術先行+補助化学療法」**が第一選択になりやすいです。

  • ただし、温存性を高めたい、pCRを評価して術後調整したい、術前に薬剤感受性を見たい等の希望があればNACも十分合理的です。

  • いずれを選んでも、術後に放射線治療(温存時)補助化学療法は基本方針として同様に検討されます。

代表的なレジメン(補助/術前)

  • アンスラサイクリン+タキサン併用(例:ddAC→T:ドキソルビシン+シクロホスファミドを2週ごと×4→ウィークリーパクリタキセル×12)

  • TC療法(ドセタキセル+シクロホスファミド×4)*アンスラサイクリン回避を希望する場合の選択肢

  • 術前でプラチナ追加(パクリタキセル+カルボプラチン→ACなど)

  • 残存がんがある場合の術後カペシタビン追加(CREATE-Xの考え方)

放射線治療は、乳房温存術後は原則実施全摘でT1N0なら通常は不要(個別因子で調整)。


2) 遺伝子検査(生殖細胞系列)の適応

誰が対象?

  • TNBCで診断年齢≤60歳は、家族歴の有無にかかわらずBRCA1/2を中心とした遺伝学的検査の推奨対象です。35歳・TNBCの時点で強い適応があります。

  • 近年は**マルチジーンパネル(BRCA1/2に加えPALB2等)**で実施することが多く、結果の臨床的意義(治療・予防・家族への影響)を遺伝カウンセリングで整理します。

結果が及ぼす影響

  • 手術選択:病的変異(特にBRCA1)陽性なら対側予防切除を含む外科戦略の再考や、術式(温存か全摘か)の検討材料になります。

  • 薬物療法PARP阻害薬(オラパリブ)は、高リスク早期乳がんでgBRCA病的変異があり、一定の病理学的条件を満たす場合に術後1年内服が選択肢となります。今回のT1N0(1.5cm)術前手術→病理確定のシナリオでは通常適応外ですが、術前化学療法後に残存がんがある等、状況により将来の適応可能性が変わる点は押さえておきましょう。

  • 将来の卵巣がんリスク管理:BRCA病的変異があれば、**出産後の時期にリスク低減卵管卵巣摘出(RRSO)**を検討するなど、人生設計に関わる重要な情報になります。妊孕性温存や出産計画とセットでカウンセリングを。

実務上のポイント

  • 遺伝カウンセリングを早めに。検査結果が術式・術前後治療の選択妊孕性温存の計画に影響しうるため、治療開始前〜ごく早期に相談する価値が高いです。

  • 結果待ちが治療開始を不必要に遅らせないよう、並行して準備する進め方が一般的です。


3) 妊孕性温存(将来の妊娠・出産)について

化学療法と卵巣機能

  • アンスラサイクリン/タキサン系は**卵巣機能低下(早発卵巣不全:POI)**のリスクがあります。35歳ではリスクは中等度程度と見積もられますが、個人差があります。

  • 治療開始前の生殖専門医への迅速紹介が重要。ランダムスタート刺激により、通常10–14日程度卵子凍結/胚凍結が可能です。ホルモン受容体陰性(TNBC)でも、レトロゾール併用などでエストロゲン上昇を抑えるプロトコールを用いるのが一般的です。

  • GnRHアゴニスト(例:ゴセレリン)併用は、化学療法中に卵巣保護効果が期待でき、月経回復率・自然妊娠率の改善に寄与するエビデンスがあります。凍結保存の代替にはならないため、凍結+GnRHa併用が最も安心感のある戦略です。

治療スケジュールとの調整

  • 術後化学療法は手術後4–6週間以内の開始が目安。凍結のための2週間程度の準備は、概ねこの範囲で調整可能です。

  • 術前化学療法を選ぶ場合も、開始前の短期遅延で凍結を行うのが実務的。腫瘍生物学や画像所見に問題がなければ、2週間前後の調整は許容されることが多いです。主治医と生殖医が速やかに連携することが鍵です。

妊娠のタイミング

  • TNBCは再発リスクの多くが診断後2–3年以内に集中します。一般的には治療完了後、少なくとも1–2年程度は経過観察し、腫瘍学的に安定してからの妊娠計画が推奨されることが多いです(絶対的なルールではなく、個別化)。

  • 妊娠自体が予後を悪化させるという証拠はありません。むしろ「妊娠は可能で、安全性も概ね担保」されるとする報告が蓄積しています。

  • 治療中の避妊は必須。**ホルモン剤を含まない方法(コンドーム、銅IUDなど)**が第一選択です。

追加ポイント(QOL・実務)

  • **頭髪冷却(クーリングキャップ)**で脱毛を軽減できる可能性があります。

  • 末梢神経障害(しびれ)対策や骨髄抑制(白血球低下)への予防投与(G-CSFなど)の要否、吐き気対策など、日常生活への影響も事前に確認を。

  • 職場復帰や仕事の調整支援制度(医療費助成、就労支援)も早めに情報収集を。


実用的な提案(ひとつの進め方の例)

  1. まずは外科で術式検討:腫瘍1.5cm・温存可能性は高い。乳房温存+センチネルを第一候補に議論。

  2. 同時並行で

    • 遺伝カウンセリング→BRCA等の生殖細胞系列検査を早期実施。

    • 生殖専門医に紹介し、卵子/胚凍結の準備(可能ならGnRHa併用計画)。

  3. 手術先行を選ぶ場合:病理確定後、補助化学療法(ddAC→T もしくはTC×4)を実施。温存なら放射線治療を追加。

  4. 術前化学療法を選ぶ場合Paclitaxel±Carboplatin→ACなどを実施し、pCRか残存かを評価。残存がんがあれば術後カペシタビンを検討。

  5. BRCA病的変異が陽性なら、将来の対側乳房・卵巣リスク低減を出産計画と合わせて長期プラン化。適応条件を満たす場合はPARP阻害薬の検討。

  6. 妊娠計画は治療完了後、主治医と相談して安全なタイミングを設定。保存胚/卵子の利用や自然妊娠の可否を個別に検討。


まとめ

  • T1cN0の早期TNBCでは、手術先行+補助化学療法が王道。一方で術前化学療法はpCR評価や術後治療の調整を可能にし、温存性向上の狙いもあります。

  • 年齢35歳のTNBCは、家族歴がなくても遺伝学的検査の強い適応。結果は術式・薬物治療・将来のがん予防に直結します。

  • 妊孕性温存は“時間との勝負”卵子/胚凍結+GnRHアゴニスト併用を基本に、治療開始を大きく遅らせず実施する段取りが重要です。

  • 妊娠は将来十分に可能で、予後に不利という証拠は乏しい。主治医・生殖医・遺伝カウンセラーの三者連携で、最適な順序と治療設計を一緒に決めていきましょう。